プロフィール

はじめまして

心理カウンセラーの勝部矩未(くみ)です。

 

=簡単なプロフィール=

・物わかりのいい頑張り屋さんで手のかからない子だった幼少期

・何気なく発せられる言葉に敏感になっていった小学生時代

・話すより聞く派、いつもと違う空気に敏感に反応する中学時代

・親の希望に沿うように大事な進路を決めた高校時代

・行動範囲が広がってますます敏感になった大学時代

・「辞めてもいい」と教えてもらえた仕事

・20代で離婚 頑張っていた私と頼って欲しかった夫

・辛いと言えずいつも笑顔で楽しい話しかしない苦しさ

・人に合わせた結果の2度目の離婚

・職歴がどんどん増えていく

・我慢、我慢から感情解放!いろんなことを乗り越えて「何があっても大丈夫!」に

 

詳しいプロフィールはこちら

心理カウンセリングを受けて悩みが解決するかどうかは、
クライアントであるあなたと心理カウンセラーである私との相性非常に重要なポイントとなります。

少し長いですが、興味のある方はぜひご覧ください。

 

物わかりのいい頑張り屋さんで手のかからない子だった幼少期

島根の田舎で両親と姉、弟の5人家族の中で育ちました。

私の小さい頃は「とにかく手のかからない子だった」と聞いています。

遡ってこれまでのことを考えてみると、それが自分の中で「手のかからない子でいなければならない」となっていっていたように思います。

黙々と1つのことに集中するタイプ。

幼稚園の先生からは「頑張り屋さん」と褒められていて

頑張ること、褒められることがいいこと』が私の中で育っていきました。

両親が喜んでくれること、両親に褒められることがうれしかったのですが

もっと、もっと・・・と物わかりのいい頑張り屋さんができあがっていきました。

 

何気なく発せられる言葉に敏感になっていった小学生時代

父の仕事の都合で転校が多く、新しい環境に馴染むための術として

空気を読むこと周りに合わせることが自然と身についていきました。

少しでも違った言葉を使うと「なまってる」とか「何その言葉!」などと言われることに傷つき

必死で新しい土地の方言をまねてしゃべったり

積極的に友達の輪の中に入っていくようにしていました。

周りに合わせてばかりの状態に疲れつつも居場所を失わないように必死でした。

そんな中でクラスでいじめにあい、友達に会いたくない、学校に行きたくない、と登校拒否症状が出ました。

朝熱があって学校を休むことになるのですが、家にいられるとなると鬱々とした気持ちはなくなり、その後1日家では普通に過ごせていました。

あまりに微熱が続くので病院に行って検査をしましたが、特に健康上問題があるという診断にはなりませんでした。

このいじめを機に、それまでは割と活発な方でしたが、積極的に人の輪の中に入っていくことが怖くなり、できるだけ目立たないように控えて過ごす性格になりました。

友達だと思っていた子に裏切られたという事実は、私の行動範囲を狭め、人の目や評価を気にするような私に変えていったのです。

 

話すより聞く派、いつもと違う空気に敏感に反応する中学時代

家、友達付き合いや部活、いろんな面で自分の好き嫌いよりも人が喜んでくれるのはどうすることか、が判断基準になっていました。

親が喜ぶ、褒めてくれるから勉強を頑張る。

たまには私の話も聞いてほしいと思いながらいつも友達の話を聞く。

理不尽さを感じても「自分を頼ってくれてるんだから」と言い聞かせて頼まれごとを受けたりして

私の中に重い気持ちが積もることも多々ありました。

また、周りの空気の変化やいつもとの違いに敏感で、気遣って声をかけてみることも多かったです。

そのため、友達から悩みを相談されることが増えていきました。

地味に目立たないように、でも必要とされていると感じるとできる限りのことをしたい、と行動していました。

 

親の希望に沿うように大事な進路を決めた高校時代

自分が行きたいと思っていた高校は親に反対され、親の勧める高校に入学することにしました。

進学校だったので入学してすぐに進路を決めていかないといけなかったのですが

大学へは行こうと思っていたもののやりたいことは特になく、親が喜んでくれそうな理由で進路を決めていきました。

大学受験では、親の期待に応えたいと努力しましたが志望校に合格することはできませんでした。

興味のある大学は親に反対されて受験できず、合格した大学はどこも行きたい気持ちは薄かったので、学費の高い私立大学に行きたいとは親に申し訳なくて言えず

結果、「受かっても行かない」と言っていた、親の負担も少なく世間体もいい大学に入学しました。

 

行動範囲が広がってますます敏感になった大学時代

初めて県外に出て1人暮らし。

世界が広がりましたが、学校、バイト先、サークル・・・自分がどう思われているか気になって少しでも評価されるようにふるまい

自分が犠牲になっても誰かの役に立てるのならそれでいい、と自分を抑える性格は変わりませんでした。

何よりもバイトのシフトを優先したり、ミーティングの空気を察して敬遠されていたサークルの役員を引き受けたり。

そして、こんな風にどこにいても「頑張って」いたのに、大学4年になってもなかなか就職が決まりませんでした。

秋にやっと決まった就職先を親に報告すると、返ってきたのは自分を否定されるような言葉でした。

大学の学部とは全く関係のないサービス業に就職が決まり

「せっかく大学までいったのにそんな仕事・・・」

という親からの言葉。

小さい頃からずっと親が喜ぶ選択をしてきたので

今までの自分は何だったんだろう、何をしてきたんだろう、自分は頑張っても価値のない人間なんだ・・・

と傷つき、せっかく決まった就職の喜びは消えてしまいました。

 

「辞めてもいい」と教えてもらった仕事

やっと決まった会社に就職するも早い段階で『合わない』という感覚がありました。

売上ノルマのある仕事で、接客に入る前に「〇〇さんに××売ってきて」と上司から言われます。

お客様にとって本当に必要だと思う商品は自信をもってお話しすることができるのですが

そうでない場合には、少し前に高額商品を購入されている方にまた売り込むなんて・・・というような気持ちになり

実際上司に言われたとおりにお客様にお勧めするのですが、困った顔をされているのを見てしまうと本当に辛くなりました。

そんな毎日が本当に負担で、ノルマ達成と厳しい上司の言葉にビクビクする毎日。

夜寝られなかったり寝ても1時間ごとに目が覚めたり、どんどん病んでいきました。

結果、半年で退職。

たった半年で仕事を辞めるなんて恥ずかしいこと。

周りの人にどう思われるかが気になってどれだけ辛くても「とにかく頑張らないと」としか考えられませんでした。

ところが、そんな私を見かねて、当時付き合っていた彼が「仕事、辞めていいよ」と言ってくれたのです。

・・・仕事って、辞めていいんだ・・・

そう言われて、初めて私の中に出てきた選択肢でした。

なかなか決めきれませんでしたが、体調も悪くなったので、意を決して退職を願い出ました。

 

20代で離婚 頑張っていた私と頼って欲しかった彼

退職後、学生時代から5年付き合っていた、仕事を辞めていいと言ってくれた彼と結婚しましたが、4年で離婚となりました。

ある日、会社にいるちょっと合わないタイプの同僚のことで聞いてほしい話があってしゃべっていたのですが、話ながら見た彼の顔がうんざりしているように見えたのです。

彼はそんな気はなかったのかもしれませんが

敏感に察してしまう私は

あ・・・こういう楽しくない話はしちゃいけないんだ、となり

それ以来、一番近い存在である夫にも気持ちを話すことができなくなっていました。

自分がまさか離婚するなんて・・・

とにかく目立たず、平均的に普通に過ごすことを何より大事に生きてきたのに・・・

自分に対する失望自己否定が毎日続きました。

夫は転勤のある仕事をしていたので

転勤についていった先でもちゃんと自分も仕事ができるように、と資格試験の勉強を始めていました。

授業料は彼に払ってもらうなんてできないから自分で稼がなきゃ、と派遣で仕事も始めていました。

なんでもちゃんと自分でやらないと。

人を頼ってはダメ。

常に私の中にしっかりと存在していたこの考え方。

離婚を切り出されても、彼がそれを望むならそれに従わないと、

自分はどうしたいかを考えるより相手がしたいようにすべきだ、と考えて

物わかりのいい自分を作って、自分の気持ちではなく相手の気持ちに合わせていました。

最後にいろんな話をした際に夫から言われたのは「もっと頼って欲しかった」という言葉。

頑張って頑張って過ごしてきたのに、そこが完全にズレてたなんて。

私はどうしたら良かったんだろう?

気持ちを話せないことで、自分から夫を遠ざけてしまったのかもしれない。

本音で話ができていたら良かったのか?

後になればいろいろ思い至りますが、一緒にいるときにそんな風には考えられませんでした。

今さら考えてもどうしようもないことを考えては自分を責めていました

結婚生活を送っていた土地を離れ、新たな場所で生活を始めましたが

虚しさしかなく、死んでしまいたいと何度も思いました。

心配をかけてしまった家族のことを思うとこれ以上家族を悲しませることはできないという気持ちと死んでしまいたいという気持ち。

これを繰り返す日々でした。

人に言うのも恥ずかしく情けなく、できるだけ人と会わないように過ごしていました。

 

辛いと言えずいつも笑顔で楽しい話しかしない苦しさ

20代も終わる頃、当時働いていた会社で本社に異動になりました。

部署は私1人。

その後私のいた支社は閉鎖となり、完全に1人で管理部門の仕事を回すことになりました。

さすがに採用活動をしてくれて1人、2人と人は増えたものの

それでも仕事の量も重さも負担であることは変わりませんでした。

辛いとも言えず、ヘルプも求められず。

しんどい顔見せられるのもイヤだろうな、と思うといつも必要以上に笑顔を振りまいて

愚痴を聞かされるなんてうんざりだろうな、と思うといつも楽しい話しかできなくて

起きてる時間のほとんどを過ごしていた会社での時間はいつも無理をしている時間でした。

人が増えたことでいろんな人のいろんなエネルギーに疲れるようになって人間関係も息苦しくなり

仕事のボリュームも人間関係の辛さも限界で退職しました。

やるからにはちゃんとしたい評価される仕事をしたい、と頑張ってしまう性格から

うまく人を頼ることができないままに激務に追われ

周りの目を気にして自分の想いを発することもできず

辛いことを表情に出すこともできず

人と接するときには無理して笑って・・・という苦しさが日々積み重なって限界を超えてしまったのでした。

 

人に合わせた結果の2度目の離婚

退職後、本当に疲れてしまって、もう地元に帰ろう、と決めました。

残りの東京生活を楽しもう、とのんびり過ごす日々の中で

友人の紹介で知り合った人と二度目の結婚という運びになりました。

もう絶対に失敗できない、

誰に何を言われるか、どう思われるか、

という気持ちが強く、相手に対して自分の中に浮かんでくる「?」があったものの

信頼できる友人が薦める人だから間違いないに決まってる、と言い聞かせて結婚した感じでした。

私の言葉のどれに反応して私を攻撃してくるかわからない夫に心を開くことができなくなって

結局うまくいかず、2度目の離婚

周りが自分のことをどう思っているか気になるけど

何を言われるか怖くて、吐き出したい気持ちを溜め込みただただ自分を責めていました。

2回目は『情けない』というそれだけでした。

 

職歴がどんどん増えていく

思い返せばもともと持っていた気質なのですが、年々周りの目が気になったり敏感になっているように思います。

自分がどう思われているか、ここにいることでちゃんと期待に応えられているだろうか

自分はここにいる価値がないのではないか、と自分を責めたり

周りの人の行動の細かい部分が目に付いて、気にし過ぎて疲れてしまったり。

人の顔色や感情に敏感で、自分のことのように背負ってしまう
聞きたいことがあっても相手の状況に気を遣いすぎてなかなか声がかけられない
心を許せる人がいなくて、自分一人で抱え込んでしまう
自分の言動が人からどう思われているか気になって仕方ない、
些細なことでグルグル考え込んで止まらず、自分を責める
今のままこの仕事をしていてもいいのかな、と不安になる、
とにかく会社に行くことが苦痛になる・・・

という時間が積み重なり、行く会社行く会社で心身ともに疲弊するようになっていきました。

居心地の悪さに耐えきれずに転職を繰り返して、頻繁に増えていく職歴がコンプレックスになっていったのです。

転職回数が増えると、仕事が長く続かないことに劣等感や恥ずかしさを感じたり自分を責めたり

我慢強さがない、粘り強さがない、メンタルが弱いと思われるのではないか、

責任感を持って仕事に取り組んでいるのに無責任な人間だと思われるのではないか、と

周りの目が気になって、苦しさやいづらさを感じるようになりました。

どの会社も、最初はもちろん長く働きたいと思ってスタートしているのに

慣れてくるといろんなことが目に付いて気になり始めます。

そして、派遣や正社員を行ったり来たりでなかなか長く続く会社がなかった中で

会社の人間関係が辛く、心身ともに不調が出てのような状態になり退職

めまい、耳鳴り、動悸、頭痛、なんだかずっと水の中にいるような周りの声や音がこもって聞こえる、という症状に悩まされました。

休みの日にリフレッシュしても、休みが終わって仕事に行くときのことを考えて憂鬱になったり

通勤途中に涙が出てきたり、吐き気がして電車に乗っていられなくなったりする日々でした。

退職を決めると多少心は軽くなるのですが

なぜこんなにも転職を繰り返してしまうのか

人は気にしないようなことなのになぜ自分には重大なことになってしまうのか

いつまでこれが続くのか、ずっとこのままだったらどうしよう、次の会社も続かなかったらどうしよう・・・

そんなココロとカラダの状態を繰り返していました。

同僚からは、堂々としていて、何にも縛られず転職もできてすごい、と思われていましたが

私の心の内にはそんなものは全くありませんでした。

業務面、人間関係面であまりに辛くなった時、周りの勧めもあり心療内科に行く決心をしました。

不安ながらも助けてほしいという気持ちもあり、勇気を出して行ったのです。

そして、そこで「適応障害」と診断されました。

食欲がなく、夜も眠れない。

会社に行くのが億劫で、気力もない。

電車通勤が辛い。

頭痛、めまい、耳鳴り・・・。

病名がついて大変なことのように感じて絶望的でしたが

一方で、休職することになり、もう会社に行かなくていいんだ、と思うと本当に救われた気持ちになりました。

 

現在

生きづらさをずっと抱えて生きてきましたが、ある時「HSPを知りました。

知れば知るほど当てはまることばかり。

それまで、なぜ私は・・・と悩んだり自分を責めていたこと

自分が感じていた生きづらさに納得ができて心が軽くなりました

人前では常に笑顔を心掛け、自分の気持ちにフタをして、頑張って、我慢して・・・

そんな私でしたが

HSPを知り、カウンセリングを受け、話を聞いてもらうことで、苦しかった日々が変化していきました。

今は、同じように息苦しさを感じる誰かの力になりたい、との思いから

 なんとなく日常的に生きづらさや居づらさを感じている方

 他の人に向けての言葉を自分に向けられた言葉のように受け取ってしまい心が疲れてしまう方

 異常に周囲の空気を感じ取ってしまったり、そこから先読みをして辛さや居づらさを感じる方

 周囲の目や自分に向けられている感情が気になる方

 自己肯定感の低い方

このような方に向けて

こだわりや執着を手離し、感情を解放して

「何があっても大丈夫!」を多くの人に伝えるカウンセラーとして活動しています。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

ここまで読んでくださったあなたにお会いできるのを楽しみにしております。